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第29回 母子健康協会シンポジウム 親と一緒に子育てを
2.発育に寄り添う保育
神奈川県立保健福祉大学大学院保健福祉研究科教授 小林正稔先生



コミュニケーションのテクニック


 そこでコミュニケーションが必要だということになったのですが、今度はテクニックばかりに注目するようになってしまうのです。コミュニケーションで一番必要なテクニックは、このあと前川先生からお話しいただけると思いますが、「聴くこと」だけなのです。どうやって話をしたら相手が納得できるかということなどは、90%くらい、「ノンヴァーバル・コミュニケーション」と言いますが、皆さま方の態度や姿勢が、相手にどう映るかです、どう受け取られたかです。
 態度や姿勢というのは、自分がいま相手のことを思っている内面がそのまま出ているということです。例えば、「どうもダメなお母さんでやりにくいなあ」と思って話をし出すと、相手に「この先生は私のことを嫌っている」というふうにとられてしまいます。嫌っている人に対して、気持ちよく「大好きです」とサインを出す人はいないですよね。特に子どもが一番いい判定者なのです。子どもを見ていますと、この先生はちゃんと子どもが好きな先生か、嫌いな先生かがわかります。
 アドバイスさせていただくときに、こうやったらどうですか、ああやったらどうですか、というお話をいっぱいします。そうすると、なかには「言われた通りにはできない」とか「無理です」と言い続ける先生がいます。そういう方には私ははっきり言います。「先生、この子、嫌いですね」と。そうすると、途端に慌てて否定するのです。「いいえ、違う、子どもにはすべて平等に」と、もうその時点でおかしいのです。平等に対応しているのなら、できる子、できない子が出現すること自体おかしなことです。すでに不平等な状態をつくってしまっているということに気づいていないのです。
 最後は集団生活だからルールが大切ということです。そのルールって誰のものですか、大人が子どもを上手に抑圧し、コントロールして、最後は自分の言いなりにするためのルールではないのか。子どもが生きていくために必要な最低限守らなければいけないことは、そんなにたくさんありますか? という、何か矛盾したところがありはしないでしょうか。
 逆説的に言うと、子どもの力というのはすごいです。養育のなかで抑圧され、虐げられているのに、素直に育った子どもがどれくらいいるかと考えたら、子どもの力というのはものすごく素晴らしいなと思います。それを一番身近で感じているのは、親と、幼児保育に携わっている皆さま方ではないでしょうか。その「思い」の部分を一致させたら、どれだけこれからの日本は、世界と言ってもいいですけれども良くなるだろう。
 いろいろな子どもと接していると、一番欠けているのは、いまの子どもは大人と仲良くなれていないことです。同じ世代の「仲間」とのみ仲良くさせられている。そんなことでは発展するでしょうか。
 最初に前川先生がおっしゃっていましたけれども、人間の歴史というのは、類人猿から始まって、少しずつ少しずつ自分たちがより良くなろうと努力しながら、協力し合いながら発展してきました。前の時代のものを次の人たちが、そこからまた発展させる。「継承」ということをきちんとしてきたから、ここまで来られたわけです。
 ここまで来たら人間というのは相当強いもので、人間はすべて強くなければいけないんだ、小さい頃からしっかりと何でも自分でできるようにしなければならないのだと、「強く」あることを強いられてきている。その結果、自分が強くなれないことを知ってしまった人たちは、どんどん逃げるようになってきています。なんでもかんでも「病気」といって、そういうところに逃げていくという状態を作り出してしまったところも見受けられるようになっています。
 もともと人間なんて弱いものです。私も含めて、保育とか、教育とか、看護とか、医学もそうですけれども、人を支援する仕事を目指す人間は、基本的に脆弱で甘えん坊のことが多いです。認めたがらない人もおおいですが。ですから、皆で、一緒に協力しあうことで自分たちの力を強くすることができることがわかっている人が多いはずです。要するに一人ではなくて、集まって協力することができれば強くなれるのだということを知っている。だから、この仕事を選んでいるのではないでしょうか。「お互いさま」という考え方ですね。
 そこのところがどうも欠けてしまってきているようで、人よりも少しでも良く見せるということに必死になってしまってはいないでしょうか。結果として、子どもがどんどん萎縮して、自己評価を低くしているとはいえないでしょうか。そういうことを考えたときに、いま、一番大事なことはベーシックなものを守っていくという姿勢ではないかと思うようになりました。【表】の慌てない、欲張らない、明るい、叱れる、夢のある、威張らない、しつこくない、前向きな、待てる、「子どもを好き」、こういうことをきちんと自分がいつも確認していくだけで、子どもたちや親たちとのコミュニケーションというのは自然に発展していくのではないかと思います。
 この、「保育」という言葉を「親」とか「教師」とかに変えて伝えても、全部通用すると思います。そういう作りにしてあります。
 つまり、親と保育者、幼児教育者という立場は違っても、共通項だけを拾い上げていくと、このようになるということです。これはモンテッソーリだろうが、シュタイナーだろうが、どの教育法だろうが共通するものと思います。細かいテクニックの部分というのは違いますが、その精神を整理し集約するとこうなるのではと思いまとめました。
 簡単にまとめると、人を育てる基本は、教育でも養育でも、まず、興味を持ってもらわなければいけないのです。安心できる環境がないところで子どもは興味を示しません。興味を持たないと手を出しません。手を出さないと、経験ができないです。経験を積まないと成長しないです。この基本原理を忘れてしまうといけないのではないかと思います。
 私の息子はもう成人していますが、その息子が幼稚園のときに、幼稚園の先生から、幼稚園で絵を描かないと言われたのです。それで、「何とか描くようにおうちでも指導してください」と言われました。私は特に反論せずに家に帰りまして、息子に、「おまえ、どうして幼稚園で絵描かないの?」と聴きました。家では、「展覧会するんだ」といって描きまくっていましたので。そうしましたら、息子の答えは、ひと言、「だって、あれ描け、これ描けってうるさいんだもん」と(笑)。「ウン、わかった、いいよ」と言って終わりました。
 また、息子は四歳で平仮名を書いていたのです。すごいでしょう? 皆さんが、息子に「お父さんに教えてもらったの?」と聴いてくれました。そうしましたら息子は「ううん、本で覚えた」と答えていました。私は五味太郎の大ファンでして、五味太郎の絵本を、息子が乳児のころからやたらと買い、家に置いておいたのです。そうしましたら、四歳の時に、従姉からお手紙をもらってお返事を書きたいと、五味太郎の『あいうえお』の絵本を見ながら、字を拾って、自分の言葉を字に写して手紙を書き送ったのです。それで書くのを覚えたというわけです。何も教えていないのです。絵本を与えただけです。
 これらの視点から、「教育」というものは何か(教育も養育も同じですが)ということを考えて見ることもすごく必要だとおもいます。そもそも教育、養育そのものがコミュニケーションをつくるものだと思っています。
 まとめて言いますと、一番のポイントは、いかに相互作用を促進していくかということを考えていただきたい。子どもの特徴は何かというと、自分の感情とか思いというのがいっぱい詰まっているのですが、うまく出せないのです。ですから、幼児教育、保育に携わる方は、感性鋭くして、その子どもたちの持っているものをいかに吸い取るか、いろいろ試行錯誤をする。そのことがすごく大事ではないかというふうに思っています。




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