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小児科医50年を省みて

財団法人母子健康協会理事 東京大学名誉教授 鴨下重彦先生

米国留学での経験

英文の学位論文を出した頃、アメリカで病理学の勉強をしてくることになり、1964(昭和39)年7月、ロスアンジェルスへ向かいました。東京オリンピックの前年でしたが、アメリカで生活をしてみて、日米の豊かさの違いに大きなカルチャーショックを受けました。当時留学していた日本人は誰もが、どうしてこんな国と戦争をしたのだろう、という感想を持ったものでした。

留学先のロサンジェルス小児病院には、病理主任のLanding先生(南カリフォルニア大学教授)という世界的な小児病理学者がいました。この病院は病床数が280位で、年間の剖検数もほぼ同じ位でしたが、解剖例としては、白血病、先天性心奇形が多く、白血病はステロイド大量療法が行われ、ビンクリスチンが出たばかり、また心奇形では複雑心奇形もあったが、ファロー四徴のBlalock-Taussigの短絡術やPottsの吻号合術のあと根治手術を試みてうまくいかなかったものも少なくありませんでした。また代謝疾患なども珍しい症例が多く、日本には存在しないとされた膵繊維嚢胞症などの解剖も経験しました。3年間で100例近い病理解剖をやり、全例の報告を書きました。

アメリカと日本の小児医療の違いを肌身で感じました。それはアメリカでは医療は小児病院を中心に発展してきたのが特徴で、いわば子ども中心の医療である。対する日本はドイツ医学の影響で、大学附属病院の講座中心、一般病院でも規模の小さい小児科が基本であり、医師中心、病気中心と言えました。学会出張などの機会に、ボストン、フィラデルフィヤ、シンシナチ、シカゴ、トロント等、各地の一流の小児病院を努めて見学しました。それぞれに歴史を誇り、規模や設備も立派で、子ども本位の医療が行われていました。日本では国立小児病院が出来たのが昭和40年ですから、かなり遅れたことになります。

最後の1年は、ロスからニューヨ−クのアインシュタイン医科大学に移り、神経化学の勉強をして帰国しました。アメリカ西海岸と東海岸での生活を経験しましたが、西と東で気候風土も人々の気質もかなり違うことが判りました。羽田空港に着いたのが昭和43年8月4日、それは丁度札幌で日本初の心臓移植が行われた日の夕方でした。

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