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温かい心を育むために

東京女子医科大学 医学部長 大澤真木子先生

お母さんはピッチャーではなく、キャッチャーに

「愛しあう二人が共に過ごす事で、苦しみは半分に、よろこびは倍に……」。結婚式のスピ−チの様ですが、これはご両親とお子さんとの関係にもあてはまります。

乳児にとっては、みるもの、口や手に触れるもの、聞こえるもの、すべて新しいものばかり。はっきりした意識ではないにしても、感動の連続です。大人にとってはたいした事ではなくても、お子さんにとってはワクワク・ドキドキするものや現象がたくさんあります。まだ言葉を話せない乳児でも、何かに興味をもつと、「こんな面白いものみつけたよ」「こんなことできちゃった」……などなど。そんな感動を言葉は使えなくても、なんらかの形で表しています。「こんなものあったよ」「おもしろいよー」とでも言わんばかりに、保護者の目と自分の興味の対象との間で視線を動かすなどのメッセージを保護者に送っています。 そのメッセージに気付いた大人が、乳児の心に描いているであろうことを口に出して「あー、面白いね なんだろう」「動いてるね」などど相槌を打つと、満面に笑みを称えて、さらにそれに触ってみたりするのです。このように乳児の感動を受け止め、共感し、共に喜んだり、感動できれば素敵です。お子さんの心の中で、感動と喜びは倍になり、その満足感、達成感も大きく育ち、自信へとつながっていきます。

また、自分が出したメッセージを大人に受け止めてもらうことで、自分の外界への働きかけが有効であると確認し自信をつけていきます。周囲の大人は「ピッチャーではなくキャッチャーになることが重要なのです。テレビは、子供がどんな働きかけをしても、決して反応してくれず、子供は無視され続けます。それが、テレビに子守りをさせてはいけない理由の一つです。

次のような経験をされたことはありませんか?乳児が「手に持ったものを投げておとし、大人が拾って渡す。そうすると、乳児はまた手に持ったものを投げておとす。それを大人が拾って渡すーーー」。。この際、「落として、、、、落として、、、」を反復している乳児は嬉々としていますが、大人の視点では「落とす」のは建設的行為でないので、繰返されている内に「なぜ折角拾ってあげたのにまた落とすの?」と感じます。大人が「いい加減にしなさい」と拾うのをやめると「あー」「うー」などの要求音で、大人に催促し愚図りだします。乳児はこの経験を通し、「自分が玩具を投げ捨てる という動作をすると周りの大人を動かすことができる!」ということを実感し、自信を付けているのです。

歩けるようになったばかりの時は、嬉しくて歩き回ります。つまずいて転び、痛い思いもしますが、新しい体験がうれしく、また、立ち上がります。そんな時、温かい笑顔で見守っていてくれる人がいて「痛かったね」「えらかったね」と声をかけてあげれば、一人ぼっちで痛い思いをして立ち上がるのに比べたら、痛みも半減、できたときの喜びは倍になるはずです。

忙しいと、私たち大人は子どもとの関わりもサボリがちになります。自分の言いたいことだけ、自分が子どもに指示したいことだけ言って守らせたり禁止したりしてしまいがちとなり、子どもから表現されている要求や感動を無視し、褒めたり、共感することを忘れてしまうのです。難しい事ですが、私たち親は、子供と一緒にいるときはピッチャーではなくキャッチャーになるべきなのです。子どもから投げられるボールは、いつでも受けとめる準備があるとの姿勢を示し、ワンバウンドのボールでも変化球でも直球でもあるいは暴投でも、受け取るように努力したいものです。

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